【悪用厳禁・他言無用】人をコントロールする技術。思念の取り扱い方について:その1

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・・・よし、バカな振りして書いてしまおう 笑!!!

本来であれば絶対に書いていけなかったことかも知れません。もし仮にこの仕組みに気づいて声を上げたとしても、狂人扱いされて社会的に抹殺されてきた筈です。そして、その頃には本人自身も本当に発狂してたと思います。

しかし、今は世の中が、それを許容出来るようになってきてるみたいです。また、僕自身がある程度外部から護られてるというのもあるでしょう。

そして、僕が、このブログを読んで頂けてるあなたを信じている。という事もあります。

この情報は、ちょっと前に書いた「誰でも簡単・永久的に使える、人様に動いて「頂ける」テクニック」なんかとは比較にならないくらいセンシティブな上、絶っっっっっっ対に、他言無用、悪用厳禁なものです。

ですが、これを書いても比較的世間に許されるであろうという事は、きっとこのブログの読者やその周りに、この情報が必要な人が居るからだと確信しています。

そして、これが一番重要なのですが、これを書く事によって、僕が様々な悪評や批判、それに伴う負荷にさらされる筈ですが、僕自身がそれに耐えられるであろうと判断しました。

今回は、思念について深く掘り下げていこうと思います。

趣味で書き始めたこのブログ。最初はエンジニアらしく技術Tips的なのを書こうかと思っていたんですが、気づいたら哲学的、自己啓発的な内容になっています。

それは、思春期から三十路になるまで、ずっと生きるという事に凄く悩み苦しんでいたという経緯に端を発しています。

休んでも疲れが取れず、仕事に嫌気がさし、自分を変えたいと思って始めた個人の受託開発も思うように行かず、自律神経を壊し、と、散々な日々に鬱々としていました。

その中で、なんとかラクになれないかと自己啓発、スピリチャルなどを手当たり次第に色々学び、体当たりで実行し、自身のカラダでフィードバックを行い、微調整を繰り返して来ました。

そして数年。気づいたら、その頃思っていた全ての悩みが消え、何もかもがラクになってしまいました。

色々学んだ結果、全ての結論に似たものを見つけたからという事もあります。

また、何年たっても、僕の中で見つけた答えたちは大きな矛盾や論理的非整合は起きませんでした。

そういうわけで、僕個人としてはそこそこの答えを出して人生満ち足りたので、この気持ちのままいつ死んでも良いなぁ。という感覚ですが、そういう訳にもいかないので、なんとか寿命までは幸せに恙無く暮らしたいと思っています。

ただ、そのためにはお金を稼がなくてはいけませんし、周りの幸せが不可欠でありますので、なるべくならお金に困らず、沢山の幸せな人を増やして、それに囲まれてにこにこして生活したいなぁ、と思っています。

しかし、そう思って周りを見ていると、どうにもそのまま進むと不幸せになりそうな行動が目につき始めます。

それらは、抜本的に解決しない限り、一生同じ過ちを繰り返しますし、また、その結果もある程度みえてしまうのですが、それらを仮に指摘しても分からないか、逆ギレされてしまいますので手出しできず、自分の中でも歯がゆい部分がずっとありました。

なので、分かる人にだけでもせめて伝えられないか、と思い、このような切り口の記事を書いている次第です。

もちろん、自身の備忘録という意味もありますが。

ただ、啓発的な事を書く際、スピリチャルを入れてしまうと(例えば、チャクラとかのワードです)、途端に宗教っぽくなり、胡散臭さが出てしまいます。

そして、あまりに核心的な事を書くと、世間の目が僕に強烈な悪評と悪意を向けてきます。

それは、僕の中では全く意図するとこではありませんし、別に宗教家にも講師にもなりたい訳ではありませんので、啓発的な記事にはそれらの用語をなるべく使わずに書いてきました。

僕は、昔こんなん書いてますし、大のぼっち好きを公言してるくらいですから、それは分かると思いますが。。

僕の記事はよく読むと、あなたの外的要因ではなく、内面を見直したほうが良いよ。というような内容を、手を替え品を替え書いている事が多いのに気づかれると思います。

それは、相手は変えられない。変えられるのは自分だけだ。という考え、理念が根底にあるからです。

そして、それは僕を含む大多数の人にとってはその方が絶対に良いのが分かっているからでもあります。

前にエネルギーの貯め方について書いた時がありますが、余計なエネルギーの浪費をしない省エネな生き方は、その人の人生を精神から豊かにしていきます。

しかし、これだけでは実は言いたいことの半分も伝えられていなかったのです。

その中で、感情を抑えて生きた方がラクだよ、という旨の事を書きましたが、ここでちょっと感情、思念というものについて詳しく見ていこうと思います。

僕達は、生きていく上で、喜び、悲しみ、様々な感情を持って生きています。そして、それらを自由に感じ、自由に表現することが出来ます。

当たり前ですが、自分の考えは五感で感じるもの(言葉、態度、文字など)を介してでしか伝える事は出来ません。

しかし、「楽しい」という感情ひとつ取っても、その言葉や態度から受けるイメージは人によって千差万別です。その為に、言葉や表現を重ねることによって、より近い想いを共有したりします。

逆に、「楽しい」という事を言葉や態度などで伝えない限りは、相手は自分が「楽しい」という事を知る由もありません。

これを逆手にとれば、例えば、身なりが整ってて礼儀正しくいれば、頭の中で、どんなゲスで変態的な事を考えていても、また恨んでいたとしても、相手にはバレずに紳士でいる事が可能です。

ほとんどの皆んなは、自分の思念は自分だけのもの。と、思っていると思います。

ここ迄は、全世界誰にとっても共通見解だと思います。

・・・そして、ここからが、伝えたい本題なのですが。。

・・・

それらの個人的な感情や思念ですが、それが意図せず他者をコントロールしてしまう事がある、と言ったら、あなたは信じますでしょうか?

または、すでに他者からコントロールされているとしたら?

そしてさらに、それらを熟知し、相手に気づかせず、意図的に他者を操ることが出来る人が居るとしたら?

・・・

例えば、マイケルジャクソン。彼の作品は元々格好良さやエンターテイメント性を追求した、根底には世界への愛がある作品ばかりで、世界の老若男女が無条件に楽しめるものでした。

しかし、ある時期を境に、社会悪や内面的な苦しさと戦う攻撃的な詩が多くなりました。それに加え、奇行やスキャンダルも多くなっています。

僕は、その潮目の境が Black or White のPV以降だと思っています。

Black or White (1991年)

キャリアの前期と後期の間に、少なくとも、彼と取り巻く人達の中で何か大きく心境の変化があった事は確かです。

正直、彼ほどの成功を収めれば、仮にスキャンダルはあったとしてもアーティストとして肉体と精神は守られたでしょうし、別に外野の野次など気にせずに好きな事をやれたはずです。しかし、Scream や、2Bad の歌詞を見る限りは、明確に何かからのプレッシャーがずっとあったのは想像出来ます。

Scream (叫び) – Michael Jackson

2BAD(1995年)

流石にKKK団やフリーメイソンの陰謀、としてしまうのは、常識人でいたい僕としては全力で否定したいですが 笑。

まず、ここら辺の疑問を解決する前に、ちょっと僕の話をしたいと思います。

・・・

長くなりましたので、次回に続きます!


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