
僕は今30台後半ですが、経歴上、紙面のデザインから始まり、web、フロントエンジニア、と、色々の立場を経験させて頂いております。その立場は企業人だったり個人だったりと様々です。
これは、もしや相当のノンポリか!? と、お思いの方もいるかと思います。でも、ベースはモノづくりが好きである事を前提の上で、単純に生きてく為にニーズがある方に進んだ結果です 笑。
そこで、IT業界で、両方の職種を経験した僕が思う、エンジニアとデザイナーの仕事の見え方考え方についてのお話から、タイトルの通り、大体の事は程々で良い理由を、健全な成果主義をベースに紐解きます。
こんなの言わずもがなですが、これから書く内容は職業の貴賎を問うものでもなく、また、特定の個人や組織を攻撃、否定するものでない事だけ先にお伝えしておきます。
あくまで、客観的に、客観的にね(^^)。
まず前提として、両方ともスキルが必要な専門職で、ゼロ(無)からイチ(価値)を生み出す仕事です。ともにIT業に無くてはならないものです。
しかし、双方ともスペシャリスト職であるにも関わらず、エンジニアの仕事について、外野からああだこうだと言われる事は少ないのに、デザイナーの仕事については、外野から色々言われるケースが多いイメージはあります。
その理由は、お笑い芸人と一緒で、デザイナーのほうが需要と供給のバランス的に立場が弱く、また、好きを仕事にしてる部分もあり「やりがい詐欺」にあったり、世間知らずで下手にでる場合が多いために、なめられるケースも多いのが原因なのかも知れません。
また一方で、エンジニアの仕事の成果物は目に見えても、そのプロセスや開発については目で理解しづらく、また、その会話内容も宇宙語過ぎて側からだと「お、おう」ってなるケースも多分にあると思います。
成果物に要望があっても、デザインとエンジニアでは修正工数が段違いに変わります、デザインの修正は、そこそこ直ぐに対応出来ますが、エンジニアリングは、その一つの修正に対して、他の影響範囲がとんでもなく大きい場合があり、側からは簡単に見えるものでも、大幅な時間が掛かったりします。
そして、デザインは間違ってても全体への影響が比較的少ないのに対し、エンジニアリングは、一文字でも違ったら、最悪システム全体が止まる可能性があるのも大きな特徴かも知れません。
今は、エンジニアのほうが市場での需要に対しての供給が追いついておらず、希少価値がある状況です。この流れは、ITが成長産業である限りはずっと続くと思われます。
、、ただ、当たり前ですが、両方とも今後無くてはならないものでありますし、クリエイターとしての僕の気持ちは、クリエイティブ側の立場が相対的に低いように見えてしまうような、この現状そのものはとても嫌だと感じています。
あとは、成果物の評価方法が、エンジニアは客観的な根拠に示されるケースが多いのに対して、クリエイティブはその根拠が曖昧で主観的なものが多いのも特徴でしょうか?
それらを踏まえて、ここからは、ある意味ではタブーの領域を語って行きたいと思います。
僕は前の記事で、健全な成果主義は良いよ。みたいな話を書きました。基本スタンスは、そこに書いてあるような気持ちで仕事に臨みますが、やり取りをしていると、やはり人間関係ですので、色々な感情的な問題も出てきたりします。
例えばですが、
エンジニア間では、しばしば宗教論争と呼ばれる、エディタ、言語、規約絡みの個々人のポリシーをぶつけ合う論争が発生します。そして、それらの議論は大体平行線のままです。
本人たちは、やはり凄く真剣なんですが、それに興味がない側から見ると「それどっちでもいいじゃん。結果的に成果が上がるなら」だったりします。
基本、宗教論争はエンジニア間では人間関係を損なう恐れがありますのでタブーです。なので、嫌われたくなければ皆んなそれをしない訳です。
実際、昔、論争している人に上記のセリフ通りにそれを口に出していったら、凄く恨まれました 笑。
でも、クリエイティブって何か違うんですよね。これ以上やると、もはや好き嫌いのレベルでしょ? まで行ったとしても、全く知識がない無関係な人間をも巻き込んでポリシー論争をやったりする事が多い気がします。
しかし、これも、それに興味がない側から見ると「それどっちでもいいじゃん。結果的に成果が上がるなら」なんですよね。
実効性が殆ど見当たらなければ、それは趣味の話になってしまいますので、飲みの席とかで仲間とワイワイやれば良いと思っています。
突き詰めるのは大事だとは思いますが、その突き詰める方向を誤ると大変なことになりますし、一般常識を持つ人が側から見た時に、それこそ違和感を感じてしまうし、そこに価値を見いだせません。
僕らは、かけた時間分努力したら、その分の見返りを求めます。
でも、成果、という側面で考えますと、当たり前ですが、かけた時間や努力と、その結果は比例しません。
仕事でいうのであれば、勿論、超過労働した分は請求して然るべきですが、そのお給料は、売り上げという成果物からしか受け取れません。
と、なると、組織人として給料を上げる為には、職能を生かして時間当たりの費用対効果を上げる事が基本的には成果になるはずです。
それが個人の費用対効果なのか、チームなのか、会社全体、はたまた国の費用対効果なのかかは、個々人の役割によって違う訳ですが。
そして、当たり前ですが、効率を上げると時間に余裕が出来ますので、その空いた時間にも更に効率化をする事が出来ます。
それをしている所としていない所、1〜2年経つと、凄く差がつきます。
誰が、悪いという話ではありません。
前に、ヤンキー化する日本、という記事を書いたときに、問題が起こった時、努力と根性論のみで乗り切ろうとする組織は最終的には「絶対」に破綻する。と書きましたが、これを思うのは上記のような理由があるからです。
じゃあ、個人的に効率を上げたい場合、まず、どうしたらいいのか? という事ですが、
僕の感覚でいうと、仕事の精度というのは、0点から80点(合格点)にするのと、80点から100点にするのは、同じくらいか、それ以上の時間が掛かります。
そして、大体は80点あれば問題になりません。残り20点も、そこまで成果に直結していません。
例えば今、業務を効率化しよう! と、大手を振っても、それが逆に負担になるケースも多いと思いますし、皆んなホントに忙しいと思います。
ですので、まず効率化をするに当たっては、始めに大概のことは程々でいいんだ。と、改めて認識する事から始めても良いのかな? と、思うわけです。
もし、効率化しすぎて、もうあと出るのは血へどだけだという状況であれは、それは何かのチキンランに巻き込まれているか、ビジネス的に間違えてる可能性がありますが。。
そして、
ここからは、何事も抱え込んでしまうあなたに向けてのメッセージです。
抱え込む理由は様々ですが、その根底にある感情は、劣等感、恐怖、焦燥感のような、ネガティブなものが多いと思います。
前に、THA BLUE HERBの記事で、ダンディズムは男の痩せ我慢だ。と、書きましたが、それとは全く違う、解釈を間違えた「個人のエゴ」は、周りを巻き込んで、苦しい状況を作り出してしまいます。
抱え込める量が、その人の度量という側面も確かにあります。しかし、その抱え込むモノは殆どは自分の所有物ではありません。例え、奥さんや子供であったとしても、自身の所有物とは言えないはずです。
例えばリーダーシップとか教育というのは、人を自分の意思や念で相手をコントロールするものではありません。
もしそんな事をやってしまったら、そのうちエネルギーが枯渇してしまいますし、その負荷は、怨嗟や病気というカタチで最終的に自身に跳ね返ってきてしまいます。
よく漫画で、「闘士を燃やせ! 想いを相手にぶつけろ!」的な表現があります。しかし、人の念は、一歩間違えば生き霊の怨念です。それは、誰かの為に想う静かな「祈り」とは程遠いものです。
真夏のホラー特集で、ずっと恨んでいる霊の話を聞いて、「きゃー、怖〜い」とか言いながら、実際の生活で、同じような、またはそれ以上の恨み事を毎日、毎日思っているのが僕たちなのです。
まぁ中には、ヒトラーのようなとんでもないバケモノもいますが、僕らみたいな一般人には、そんな中二病患者が思うような、隠されたチカラはありません。せいぜい一生かけて自身と大切な数人を幸せにできるかどうかでしょう。
むしろ、それが本当に出来てしまったら、とっくの昔に世界平和が実現してますので、それすらも出来ずにおられる方が、僕を含め、どれだけ多いことか分かりません。
人ひとりが持てる量には限界があり、両手一杯に荷物を握りしめてては、さらに、新しい荷物は手に入りません。もし、今何かを手に入れたければ、「何か」を手放す必要があるのです。
僕の知人で、ワンピースの主人公みたいに色々抱え込んで、いつもは、笑顔でありながら、裏では抗鬱剤などを服用しながら踠き苦しんでいる人がいます。
僕は、逆に諦めて全てを手放す事で楽になってしまいました。
勿論、最終的にどちらが幸せかは分かりません。その知人が後に成功を収め、僕は、どこかの路上でのたれ死んでるかもしれません。
これも、両極端な例です。しかし、自身の身の丈に責任を持てるのであれば、このような様々な生き方があるという事を知っておいて欲しいのです。
また、そのうちに念の話もしたいなぁ。と、思っています。これは、皆んなにも当てはまる話なんで。。
・・・
・・・僕は究極のリアリストは、究極のロマンティストになれると信じています。
そして、同じくゼロからイチを作り上げている同業者の皆んなに、少しでも、この想いが届けば良いな(^^)。