
もう少し寝ると、お正月ですね。お正月は年神さまに五穀豊穣の感謝を捧げつつ、一年の幸せを祈る行事です。僕も毎年おみくじだけは毎年指針にしてたりしてます。大概は「頑張れば叶うから、もっと丁寧に生きろ」とハッパかけられてます、おみくじに 笑。
今から書くのは、宗教関係者は絶対書かない全くもって身も蓋もない内容になります。神さまとのおつきあいの仕方について。
あなたは神さまと聞いて、どの様に捉えますでしょうか? 手の届かない存在でしょうか? 優しい存在? 怖い存在? 人に寄ってはそんなもの居ないよ、と、答えるかも知れません。
物事をおこなうとき、勿論人事を尽くさないといけませんが、望みが叶うタイミングは天命を待たないといけません。そういう意味では神さまに愛されたほうが幸せになれる訳です。
僕は前にブログに書いた通り、目に見えない物の存在を信じています。その中で、僕らに対して干渉してる存在(守護霊、守護神、その上の存在、はたまた悪霊、怨霊、生霊と呼ばれるもの)を所謂神さまだ、として、以下説明を行っていきます。
神さまと人間の関係性を物凄く分かりやすく言うと、野球やサッカーのゲームなどでいう監督と選手の関係です。この場合は監督は神さま、フィールドに立っているプレーヤーが僕たちです。ゲームなのでもちろん目標は点を取って勝つことです。なので、僕らと神さまは協力して勝ちに行くわけです。何を以って勝ちか? 誰と対戦しているのか? は、人や神さまに寄って違ってきますが。
だから、「神さまがいるなら、俺を救ってみせろ」と踏ん反り返る人には、神さまは「じゃあ俺らの意見聞いてみんなと協力して走って点を取れよ」と、なります。
逆にプレーヤーとして、凄く優秀であれば今の所属チームをぬけて、もっと良い待遇でプレー出来る可能性もあります。
ここまで読んだあとで、勘が良い方は気付くと思うんですが、僕らと神さまの関係性ってあくまで対等なんですよね。なぜかと言うと、監督は目標が勝つという事で一緒である以上、プレーヤーがそもそも居ないと話になりませんし、資質の高いプレーヤーを育て、揃えたいと思ってます。
そして、プレーヤーである僕たちは、自分の目線でしかプレー出来ません。その目線はあくまでフィールド上(今見えてるセカイ)にしかなくて、大きな戦局の指示は監督に頼らなくては良いプレーが出来ません。良い監督には良いプレーヤーが集まりますので、良い監督の元で仕事したいと思っているので。
上記のような関係性である以上、神さまの言うことは信じて行動する必要はあるが、絶対的な存在ではないという事が言えます。つまり、良いプレーをしているはずなのに報われない場合は待遇の改善や注文をつけても良い。という事です。
そして、もっと身も蓋もない事を言うと、神さまは僕らの楽しさ、苦しさにはあまり興味が有りません。なぜかと言うとコンディションを整えるのは選手の仕事だからで、求められるのはあくまでプレーだからです。
だから、「苦しいから、神さま、助けて」と言っても「コンディションを整えるのは、本来あなたの仕事だよ」と、なります(中にはコンディションやフィールド配置まで全て観てくれる神さまもいます、見つけられた方は幸せだと思います)。
スピリチャルとなると、精神のみにフォーカスされる方が多いと思いますが、それというのは監督の意見は聞くけどフィジカルが弱いタイプであり、逆に神さまを信じない、でも勢いのある人は子供のサッカーのようにボールに群がって辺り構わず蹴るタイプだと言えます。そのどちらでも得点を取るのは難しいです。
神さまが好きなのは、やはり点を取れるプレーヤーです。そう考えると、メンタル(スピリチャル)だけでは点を取れませんし、フィジカル(現世のみの刹那的な考え方)だけでも難しいと言えます。
因みに、所謂神カカリと呼ばれるような状態というのは、神さまの意思が、カラダのキャパを超えて影響を及ぼしている状態です。もっと身も蓋もない言い方をすると神さまに振り回されている状態と言えるかも知れません。判ってリスクも自身でとれていれば良いですが、その神さまの出自の裏取りが出来ない以上、盲信は危険かもしれません。
以上、神さまとのおつきあいの仕方について書いてみました。要するに必要以上に怖がる必要も無ければ、必要以上に上下関係をつくる必要はないという事だけ知って頂ければ良いかなと思います。あまりに神さまを上に見て、自分の権限を委譲する方には、それを逆手にとって乱暴に扱われることもあると思いますので気をつけましょう。それとは逆に全く尊敬をしない方も同様です。
そんな訳で、今これを書けてる事に感謝しつつ、皆さま良いお正月をお過ごし下さい(^^)