「代表」と「副代表」の違いについて 〜裏方の美学〜

サッカーの本田選手、ラグビーの五郎丸選手など、やはり大きな大会で得点を取る選手は華やかですし、かっこいいですよね。やっぱり憧れます。

今回のラグビーでは、華々しい活躍をした選手たちがいた中で、その選手たちを産み育て、育んでくれた家族、世間の素晴らしいエピソードなども数多くフューチャーされていました。

怪我や事故にあってほしくない、と思う反面、万全の準備をさせてあげて笑って戦いの地に送り出す選手の奥さん。留学先のホストファミリー。練習後、腹いっぱい食べさせてあげた寿司屋のおじちゃん。こういう人が見守ってくれているから本番で100%以上のチカラが出せるんだろうなとすごく感じます。

今回はそういうところを踏まえて、法人、サークル、団体、なんでも良いのですが、「代表」と「副代表」の違いについてを裏方の美学というのもを交えて、書いていこうと思います。

「代表」、「副代表」の違いって、どういうものでしょうか?

ちなみに「代表」が一番必要なスキルとしては「政治力」「決断力」「実行力」であったりしますが、「副代表」が一番必要なスキルは「調整力」「推進力」だったりします。

RPGに例えると一番わかりやすいかと思います。代表は優秀なアタッカーであるか、攻撃系の魔法を得意とする魔法使いですが。変わって副代表は、補助系魔法を得意とする僧侶です。

代表が会心の一撃を放ったりイオナズンを唱えている間、副代表はバイキルトやピオリムなどで代表や仲間のチカラを倍加するのが主な役割です。直接攻撃はしませんが、代表や仲間の攻撃力を上げ、被ダメを少なくする事で勝ちやすくしていきます。

企業に置き換えると、代表が見ている夢や方向性を、政治力や求心力で、人、モノ、カネを調達している間、副代表が現実可能なものにするために社内調整、社外斥候、細かな仕組み作りなどをする訳です。

つまり、これらの立場って本来エスカレーター式に繰り上がっていくものではなく、やはり得意・不得意がある分野であり、役割がかみ合えばすごくチカラが発揮されますが、そうでない場合は組織の瓦解につながるところでもあります。

そして、一般的な組織では、ここを適正ではなく、順番や縁故で配置せざる得ないことこそが、変化への対応の弱さに繋がっていくのでしょうね。

しかし、やはり人の目は代表がやっている派手なほうに目が行き、そちらを賞賛しますが、それらも優秀な裏方がいて初めて実現されるのです。

そしてそれは、いろいろな場合において「無私」というものを要求されます。政治家の秘書なんかもそうですね。優秀な秘書は政治家の言った内容をPR戦略によって倍加させますが、その仕事自体はその秘書本人を目立たせません。あくまで主役は政治家であることをわきまえているからです。

カルロス・ゴーンのような凄腕経営者にも、例外なく優秀なNo2がいます。以下にその一端を示す記事をシェアします。

利益下方修正「聞いてない!」ゴーン激怒、切られた番頭…更迭から1年、いまだに恨み節を口にしないNO.2の「哲学」

世の中、特にメディアに出られている方は、どうしても「我が、我が」になってしまいますので、それが良いもの、良い事のように写ってしまいますが、「大いなる夢」を語れて描ける人はごく一部だと認識した上で、「裏方の美学」をみんなのベースとして共有できるようになった社会は、もっとみんなが幸せで生き生きしてるんだろうな、と思います。

少なくとも世間の「夢をみんなが持つべき」という半ば強制力に近いようなお題目には僕は反対です。

「裏方の美学」「No2」が得意な方に、「No1」「大いなる夢」を語らせても本人にも周りにも苦しいだけですし、我と我がぶつかるだけですからねぇ。。

それよりは、それぞれ役割は違うという事を知り、それぞれのあるべき役割で人と関わり探求する「調和」のほうが良いですよね。優しい日本人らしいし。


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