
最近ではファミコンも「当時は…」みたいな感じで教科書に載るようになりましたね。時代の流れを感じてしまいますが。
小さいころの勉強って、色々必要な事あると思うんですが、1番重要なのって情操教育かなと思います。快、不快を理解したり表現として表したり、人の気持ちを類推したり慮ったりとかは、どれだけコンピュータが発達した今でも、やはり難しい分野です。
それは、従来型教育のような知識を詰め込んで活かすという知的優位性が、Googleなどの台頭により、今は世界中の知識が簡単にアクセスできる事で、昔ほど必要でなくなったからでもあり。それであれば、それらを利用出来る前提で考えると、やはりココロの教育が重要だという結論になる訳です。
逆をいうと、それが出来ない、必要無い役割とかは機械にとって代わられるという事でもありますので、そういう意味でも、情操教育というのはかなり今後教育において、重要な比率を占めてくると思います。
で、情操教育。
そんな中、最近僕が読んだ中では情操教育に一番良いなと思った漫画は「鋼の錬金術師」です。まあ、純粋に娯楽として面白い漫画なんですが、中々読み進めていくと、こう、なんと言うか愛に溢れている物語だなぁと思う訳です。
ストーリーとしては、兄弟の凄腕の錬金術師が、幼い頃母親を亡くした事による禁を犯した行動をキッカケに得てしまったカルマを解消する為に旅にでる冒険ファンタジーです。
特にラスト近辺、主人公が弟を助ける為にある選択をするんですが、その内容がその間に描かれる物語のベースである、生きる事とは? 世界とは? 自分とは? 事を成すという事とは? という問いに対して想像しえなかったパーフェクトとも言える答えを出していまして。
良く面白い漫画は作者の思惑を越えて、意図した帰結をしないケースが多いですが、これは当時やっていたアニメ版も併せて、これ以上ないフィナーレを創り上げていました。
この時、この立場なら自分ならどうするだろう、という投影をしながら読むと、本当に考えさせられますし、多感な時期の人格形成にいい影響があるのでは? と、思う訳です。
読書感想文とかで、漫画は…。と首を傾げる方もいると思いますが、手塚治虫さんの漫画がOKであれば、鋼の錬金術師もアリでしょう。
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…アリでしょう?